分析のためのツール

分析のツールのガイド

 この小文は現在弾いている曲。あるいはこれから弾きたいと思っている曲をさらに面白く演奏するためのガイドです。各曲のガイドになる楽譜(2段あるいは3段になっている)を読むためのガイドでもあります。


トレーニングの鉄則
 みなさんは日々のトレーニングを重ねていて、ときどきうまくいったな、というときもあればこれじゃイマイチ(こっちのほうが多いかもしれません)というように、何をどうすればうまく弾くことに繋がるのかはっきりしないまま、研究を進めていないでしょうか。たしかにトレーニングの回数と集中は必要です。でもその前に方向がはっきりしていることはもっと大事なのです。

 ここではその方向をはっきりさせていくためのツールを紹介していきます。どんな曲にでも使えるツールです。慣れてくると大事なポイントがどんどん掴めるようになってきて、あいまいな(行き当たりばったりの)トレーニングをなくすことができます。
 
 まずやらなくてはいけない事は、なにをおいても今やっている(やろうとしている)曲が「非常によくわかっている」、という状態にすることです。



 そこで。

楽譜を深く丁寧に読む

 楽譜は私たちがまず使える大事なメディアです。書かれていることを頼りにしてトレーニングをしていくわけですが、書かれている(楽譜特有の)言語が判っていなかったり、誤解していたり、勘違いしたまま読み続けたりすれば、良い結果になる可能性はなくなるわけです。
 音符は長さ、高さにたいしては(ほぼ)正確な情報を提供してくれるのですが、こと表情(表現)に関しては見ただけではあまりはっきりしません。こまかく p や f が付けられていたら少しは参考になるかもしれないですが、作曲者が生きていた時代によっては、表情はほとんど書かないのが当たり前ということもあります。
 音符以外に情報が書かれていないからといって音楽が無表情なのではありません。音符の組み合わせ、並び方に表情の情報があることが判らないのでそう思っているだけのことなのです。
 楽譜を精確に読む力がついてくると、必然的な表情(どう弾くのか?)が判り「何のためにトレーニングをするか」が明快になる、というわけです。




 楽譜を読むためのツール
 ここでは3つのツールを使います。

⒈和声学
⒉メトリック
⒊修辞学

 ひとつずつ解説します。

 まず和声学。和音の変化は表情の変化にダイレクトに繋がります。ルール(和音のつながりと表情の関係)を覚えていくことで作曲者が考えた表情を再現することができます。p や f が書かれていなくても豊かな表情がその和音の変化に託されているという認識を持てるようにしたいものです。
 カルッリのやさしいエチュードを例題にして実際に調べてみます。

 おなじみのハ長調のアルペジオのエチュードです。この文章を読んでいるレベルの人であれば、一度は弾いた経験がある曲だと思います。




 部分部分が何の和音でできているかまず調べます。まず判らなくてはいけないのは、この曲の調です。ざっと見て気づくことは調号(ト音記号の右の♯や♭)がついていない。また臨時記号がない、ということなどが、調を判別する材料です。可能性があるのはCメジャーか、Amです。それから調を決めるポイントは最初と最後の和音ですが、この曲ではCメジャーの和音(下からド・ミ・ソ)の音でできているということから、Cメジャーで決定です。

 使われている音を調べてみましょう。


 これですべてです(オクターブ違う音は同音とみなします)。そしてその音階上にできる和音(これが通常その曲で使われるおもな和音になります)が以下に示したものです。和音は音を3度(音と音との間隔は「音程」といわれて、それは度数で表されます)ずつ重ねて得られるものです。

 それぞれの和音はⅠ(いち)Ⅳ(よん)の和音というように呼びます。Ⅴの和音だけは4つの音になることもあり、これはⅤ7(ごのなな)と呼んだりします。


 和声の原則として、その進行は Ⅰ に始まり、Ⅴへ行って Ⅰ に帰って来る、というのが基本です。Ⅰ が安心できるマイホームで V が緊張感のある旅先という感覚でもいいでしょう。
 Ⅰ-Ⅴ-Ⅰ

 この組み合わせはもっとも大事なセットです。どんなに長い曲でも、これでできているといっても過言ではないわけです。安定した音(和音Ⅰ)から緊張した音(和音Ⅴ)を経て、そしてまた安定に戻ってくるというストーリーです。

 さてエチュードの楽譜にもどってみましょう。それぞれの小節は1つの和音でできていること(7小節だけ2つ入っていていて例外)に気付いてください。でてくる和音は  Ⅰ、Ⅱ、Ⅴ7、Ⅵの4つです。Ⅴの和音とⅠの和音はそれぞれ2つ表記のものがありますが、いずれも構成音が同じで仲間です。

 楽譜(和音)を読むということは、これらの和音の変化に意味はないか、と考えていく作業なのです。和音は曲が進んでいくに従って緊張度が変わってきます。緊張度の高低をたとえば p f で表現してみるだけでも、たちまち音楽が花開いてくるのがわかります。

 もうすこし踏み込んでみます。1小節めはCメジャーの和音で、安定しているので問題はありません。2小節と3小節でその安定が崩れます。構成音はどちらもⅤ7の和音(ソ・シ・レ・ファ。3小節にレはありませんが、ここでは省略されています)です。同じ構成音だから同じ表情でいいのか、というとそうではありません。ここでの違い(ベース音)に注目しないといけないのです。ここで学習するのは「和音の転回」という概念です。

 見てみましょう。

 ド・ミ・ソの音でできた Ⅰ の和音から見ていきます。ドがベースの和音にはその記号Ⅰの右に何も付いていませんが、ベースがミに変わると右肩に小さな1が、ソにかわると2がつきます。つまり右のアラビア数字はその和音のベースが何か、ということを表します。
 何も付いていない形を「基本形」。右肩に1が付いている形を「第1転回形」。2は「第2転回形」と呼びます。

 続けてソ・シ・レ・ファの Ⅴ7の和音でも確認してください。2までは同じルールです。こんどは音が4つになりますから3「第3転回形」まで現れることになります。ちなみにこの右肩にある数字を「転回指数」といいます。

 さて大事なことはこのアラビア数字(転回指数)が大きいほど緊張度が高いということです。先ほど述べたように、ⅠとⅤの和音を比べるとⅤの方が緊張はたかい。さらに同じ和音であっても転回指数が大きいほど緊張度は高くなるということです。

 すると1小節から4小節までの表情は以下のようになるわけです。これ以外にないのです。


 後半はⅥとⅡというマイナーの和音が出てきて音色が変わります。すこししっとりするというか内向的に感じる響きかもしれません。Ⅰ2ーⅤ7ーⅠは典型的な和音のパターンで、表現は決まっていて、ディミヌエンドになります。そうすると、表情は次のようになるでしょう。ここでもこれ以外は考えられないわけです。


ここまでで何がわかるか。

 和音の理解は即、表情を明らかにするということなのです。そうすると何をトレーニングすればよいかわかる。どこに行けばよいかがはっきりしますね。手探りして表情をいろいろつけてみる、ということは実はないのです。表現の幅にこそ自由はあれ、やることはもうすでに決定している。楽譜は勝手に解釈できるようなものではないのです。

 さらに興味のある方は和声学の専門書(もちろん入門書でもよいです)を参照してください。ここで重要なことは
Ⅰ-Ⅴ-Ⅰの関係が基本であること。転回指数が高いほど和音の緊張度が増す、ということを頭に入れてください。それがわかってガイドの楽譜を読んでもらえると鮮やかで納得いく表情が読み取れるはずです。

 つづけてメトリック。日本語では拍節法と訳されています。難しい定義はいろいろできますが、ここでは「アクセントの位置決めとそれを囲む音の秩序」とでもしておきます。

 楽譜で見た方が早いでしょう。おなじみのハッピー・バースデー。歌ってみます。


 小節ごとの第1拍めはアクセントが入ることによって拍子が決定します。これは「拍子アクセント」と呼ばれるもので自然に入るとおもいます。歌詞上でもbirthdayが強調されるべきなのでフィットしますね。
 happyの歌詞のところはその次にくる第1拍に向かって集中する音(群)でアナクルーズと呼ばれます。うたってみてもHAPPYとアクセントがつくようなことはないでしょう。そう歌ってみるといかにもガサツです。1と3小節の1拍から3拍に書かれたスラー記号のような記号はデジナンスと呼ばれ「語尾」をあらわし、音が落ち着いていく様を示しています。
 ただ音が並んでいるようにみえる楽譜もこうしてみると、いろいろなこまかいニュアンスを含んでいるのがわかります。

 ではこれらを具体的にどう表現していくのか? 
 アナクルーズはにじんだ発音からスタートして、クレシェンド、アッチェルランドが感じられ、アクセントは必ずしも大きな音ではないけれど、はっきりした意識のある音でありたいものです。デジナンスはアクセントで発散されたエネルギーが落ち着いていくようにディミヌエンド、ラレンタンドしながら弾いてみる。
 
 すこし大げさですが、図式化すると以下のようになります。もちろんいかにもaccell. rall.のようにまたcesc. dim.に聞こえるように演奏するのではやりすぎですが、わずかな弾き分けがあるのです。聴いているひとがにわかには気付かないぐらいの微妙な按配で。


 こういった一件面倒に見えることを、細かく丁寧に表現することによって音楽に自然さが増していくことになるのです。自然さを求めていくのは音楽のトレーニングの眼目の一つですが、それにはこういった全くアーティフィシャル(人工的)な解釈(テクニック)が是非とも必要なのです。ただ弾いていっても、いっこうに自然な表現にはならないのです。
 もうひとつのポイントは言語の認識です。happy birthdayは原語(英語)で歌ってこそ、このメトリックが必然性を帯びてきます。英語(をはじめヨーロッパ語)ではアクセント抜きでは通じません。アクセントの概念がちがう日本語でうたうと、それが曖昧になることがあるのです。忘れてはならないチェックポイントの一つです。

 次の楽譜のようなことも笑い事でなく起こっているのが現実です。
音符上の ⚪︎ 印はアクセントの記号でしたね。

 これは明らかにおかしいのですが、日本語だとそんなにおかしく聴こえないのが落とし穴なのです。器楽の楽譜を読むときにも注意しておかないといけないポイントと同じです。

 メトリック(アクセントの位置決めとそれを囲む音の秩序)はアナクルーズ、アクセント、デジナンスというパーツでできていて、楽曲のすべての音がそのいずれかに属します。それを理解して弾き分けるようにしていくのがトレーニングです。これが判ることでどれだけ曲の理解が進み、演奏レベルがあがるかはかり知れません。

 さいごは修辞学。レトリックという語の訳ですがあまり馴染みのあるものではないですね。もともとはいかに話し手の言うことを相手に伝えることができるか、という技法として発達してきたものでしたが、バロック時代に音楽に応用されてきて、「音楽修辞学」という分野が生まれました。

 現在の音楽の捉え方はややもすると楽器を(歌でもよいが)見事に操作することが、価値を持つように思われているわけですが、バロック時代にはそれ以前の目的が明瞭にありました。「聴衆の心を操作する」ということです。演奏を聴くことによって、聴衆の心にアフェクト(情念と訳されている:デカルトが言い出した言葉で「驚き」「愛」「悲しみ」「欲望」「憎しみ」が基本)が感じられるようにすることだったわけです。

 いわれてみると、確かにそうだと思うのですけれど、トレーニングの時にはこの意識は希薄になって、弾けるか弾けないか、というローレベルで行ったり来たりしていることはよくあるのではないでしょうか。作曲家がねらったと思われる、曲が内包するアフェクトはなんなのか。に、注意をむけていこうというのが修辞学的なアプローチなのです。ヒントになるのはフィグーラとよばれる音の組み合わせの「形」などで、それらがもつ意味などを調べながら進むことになるでしょう。ここでは例をひとつだけ、アマーレと呼ばれるフィグーラを例として示しておきます。
 
 3度下がって2度上がる。もしくは3度上がって2度下がるでも良いです。この音形が出てきたときは、「愛情」の表現なのです。例題はモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。印のついている場所の歌詞は「verum  corpus 真の御体」で、いかにも、フィグーラと歌詞がフィットしますね。そして、ここが大事なことなのですが、それを感じて歌う(弾く)ことによって、より深い納得のいく表現に至るということを理解してもらえれば、と思います。

 以上が研究に使っている分析ツールの説明です。ギターを弾く前にぜひ曲がどのようにできているか研究するということが習慣化できないかアプローチをしてください。もちろん弾きながら並行して研究する部分もでてきます。そう簡単に腑に落ちないところも出てくるからです。それはそれでペンディングにしておいて先に進みましょう。隅々まですべて解決していなくても大丈夫です。分析はそれ自体が目的ではないからです。

 目的はあくまで「よい演奏」であり「たのしい納得のいく練習」なのです。宿題が残ればそれはそれで、というぐらいのおおらかさで進みましょう。

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